精神的ジャパニーズドリーム~理念の革命~

   新時代の日本のあらゆる分野において、「精神的ジャパニーズドリーム」を起こしてゆくための根本理念を提示します。

「新時代の小説家によせて」(3)    天川貴之

私は、小説を読む度に、神は小説を書くようにして世界を創造されて、また、されつつあるのではないかと思うことがよくある。 我々が生きている世界とは、実は、小説の中の世界の如きものであって、この世界からは感じることの出来ない次元の世界で、神は我々…

「新時代の小説家によせて」(2)    天川貴之

もちろん、小説に登場してくる人物が偉人となるためには、それを表現した所の作者自身が偉人の精神を宿しておかねばならず、「ウェルテル」は、若き感性豊かな詩人ゲーテの偉大なる精神像であるし、「ファウスト」は、老いた永遠の求道者にして、救済を求め…

「新時代の小説家によせて」(1)    天川貴之

小説を書くということは、その中において、自己の内なる世界にある所の様々な個性、様々な思想、様々な可能性を、一つ一つ登場人物を通じて創造してゆくということである。 作者が物語を創るまでは、かかる人物はこの地上に存在しなかったのであるから、まさ…

「新時代の映画監督によせて」(7)   天川貴之

このように、自分自身の人生を偉大なる芸術へと為すことが自分自身の観じ方次第で出来るように、自分を含め、いかなる人々の人生、もしくは、国家や民族の人生をも、我々は我々の観じ方によって偉大なる芸術作品と為すことが出来るのである。 新時代の映画監…

「新時代の映画監督によせて」(6)   天川貴之

我々は、どんなにつまらない人生のように自らの人生が見えたとしても、その一つ一つの中に実は神の生命が輝いていたのだということを発見してゆかなくてはならない。 物質的にも、精神的にも、我々は神の法則の下にあり、神の掌の上に乗せられるようにして、…

「新時代の映画監督によせて」(5)   天川貴之

人間とは、内なる自分と外なる世界を一体のものとして受け入れなければならない存在であり、例えば、外なる壁を押した時に、その反作用を受けるように、また、ピアノの鍵盤を押した時に、様々な音が鳴り響くように、我々は、自ら為したことの結果を、ある時…

「新時代の映画監督によせて」(4)   天川貴之

人生とは、いわば神との対話の連続である。神の応えは、常に運命という形で自分自身に降りかかってくるのである。 かつて老子が、「天網恢恢、疎にして失わず」と云われたことの真意は、まさしく、この神の業の法則について云われていたのである。 どんなに…

「新時代の映画監督によせて」(3)   天川貴之

近代において最大の戯曲家であるシェークスピアもまた、その悲劇を書かれる時に運命に翻弄される人間をテーマにされたが、ソフォクレスやシェークスピアを最高の戯曲作家たらしめているのは、技術的なものではなくて、その奥にある人生と人間、そして、それ…

「新時代の映画監督によせて」(2)   天川貴之

それでは、一人一人の人生はその人自身の芸術であって、少なくとも神の芸術とはいえないではないかとも思えるが、よくよく一人一人の人生を眺めてみると、神の法則の中で、自らの発してきた言葉と思念が、人と時と場所を違えて、自分自身に向かって、限りな…

「新時代の映画監督によせて」(1)   天川貴之

人生というものは、それを観ずる者の内なる理念の掘り下げ方によって無限の輝きを放つ可能性を秘めている。 一見、平凡に見えた人生であっても、真に天才的な理念の眼をもって観じた時に、それは大いなる神の芸術に満ちあふれた一生であったことがわかるので…

「新時代の詩人によせて」(5)   天川貴之

だから、私は、あえて心貧しきあわれなる現代の人々のために、真なる詩人達が数多く出現することを望むのである。 複雑な現代社会においても、その心に屈託なく、素朴で、清らかで、美しい感情に満たされている詩人の出現を待ち望むのである。 かかる詩人は…

 「新時代の詩人によせて」(4)   天川貴之

人間の本質に真・善・美という理念があるとするならば、まさしく詩人は、美の理念の旋律を直接把握することを使命としているのである。 本当は、この世には、到る所に美しい聖なる旋律が満ち満ちているのである。 しかし、誰もその旋律に気づかず、その旋律…

「新時代の詩人によせて」(3)   天川貴之

この日本という国は、古来より「美し国」と呼ばれ、「言霊の幸ふ国」と呼ばれてきたのである。 そして、連綿たる和歌の伝統というものがあり、数千年の歴史を経て、国民一同が歌を通して一つの心にまとまり、永遠の美しさ、大和の心というものを追求してきた…

「新時代の詩人によせて」(2)   天川貴之

現代人の心をもし絵に描くことが出来たならば、きっと、ビルディングの形や、事務所机の形をしているにちがいない。 それに比べて、ギリシャの詩人達の心は、きっと、あのエーゲの海のように広く、透明なブルーをたたえていたのであろう。あのオリンポスの丘…

「新時代の詩人によせて」(1)   天川貴之

詩はどこから生まれてくるのであろうか。かつて、ギリシャの人々は、詩というものは、ミューズという天の聖霊に授けられるものであると謳っているが、おそらくはその通りなのであろう。 ギリシャの時代に居たミューズは現代においてもいるのではあろうが、現…

「新時代の芸術家によせて」(8)   天川貴之

ルソーが『エミール』の冒頭で「万物を創る者の手を離れる時、全てのものは善いものであるが、人間の手に移ると全てが悪くなる。」と述べられたように、我々は、多かれ少なかれ、大自然の一部として、大自然を模倣して芸術を創造しようとするが、自らの心が…

「新時代の芸術家によせて」(7)   天川貴之

このように、大自然はある時は真理の書として、またある時は美学の書として、我々の前に、奥深い精神に裏づけられた芸術を、無限に、また、無償で展開して下さっているのである。 しかし、大自然がいくら我々の前に崇高なる芸術を展開して下さっていたとして…

「新時代の芸術家によせて」(6)   天川貴之

他に蝉の一生をとってみても、七年もの間地中にあり、地上に出て一週間だけの生命を完成した美としてはばたかせることは一見かわいそうにも思え、何故に、自然は、一週間だけ地中にいて、七年間大空を飛翔させてやらないのかと感ずることもあるが、よくよく…

「新時代の芸術家によせて」(5)   天川貴之

偉大なる芸術作品には、すべて偉大なる精神の裏づけがあるものだが、同じく、大自然の川や湖や海などの大芸術の背後には、人間をはるかに超越しながら、なおかつ、人間達を暖かく育み、導かんとする偉大なる精神が存在するのである。 故に、真に偉大なる芸術…

「新時代の芸術家によせて」(4)   天川貴之

かの老子は、大自然の水の中に至上の徳を見出され、そこに、無我なる愛の姿、万物と調和する姿、限りなく謙虚な姿を看取されたのであり、同じような教えを数多くの聖人が水より学びとっておられるのである。これもまた、地球という大生命の崇高なる精神の一…

「新時代の芸術家によせて」(3)   天川貴之

地球という大生命は、我々には大きすぎてその全体像をつかむことが出来ない。 しかし、多様なる生物の一つ一つは、地球の生命の顕れの一つであり、地球の創った一つの芸術作品なのである。 あらゆる芸術家はその作品において己が精神を語ろうとするが、地球…

「新時代の芸術家によせて」(2)   天川貴之

春には春にしかない独特の美しさがあり、春の雰囲気は、あたかも優しく暖かく悦びに溢れた音楽のように大自然に響き渡り、その音楽に合わせるかのように、草木や花々は春の絵画をもって身を装い、悦びと希望に満ちた躍動を彫刻として表現している。 それは大…

「新時代の芸術家によせて」(1)   天川貴之

大自然のありとしあらゆる存在は、すべて神の芸術作品である。 どのような偉大な人間の芸術的営為をもはるかに超越したものに我々は囲まれ、それを当然のことのように受け入れて生きている。 しかし、それらをよくよく芸術作品として観察してみると、たとえ…

「新時代の志士によせて」(10)   天川貴之

新時代の革命を担う志士達よ、時期は到来したのである。あなた方が、すべからく自己の真なる生命そのものである理念の使命に目覚める時期が来たのである。 大いなる理念の志を持て。そして、自己の理念の志に常に敬虔な尊敬の念を払い、常にこれを高め、純化…

「新時代の志士によせて」(9)   天川貴之

故に、行動の天才であればある程に、哲学の天才、思想の天才、学問の天才の門を数多く叩いて、積極的に師弟の礼をとり、学んでいっていただきたいのである。 理念上の師を求めることは、理念の志士にとって崇高なる義務である。これは最高の美徳なのである。…

「新時代の志士によせて」(8)   天川貴之

最後に、新しき理念的志士道精神において挙げておきたい精神理念は、寛く高い思想性である。 志とは、そもそも特定の思想を実現せんとして派生してくるものであるが、それが狭さとなって顕れることがよくある。 そして、志故に排他的になり、信念と情熱故に…

「新時代の志士によせて」(7)   天川貴之

さらに、理念的志士道精神にとって、大切な眼目は、圧倒的なる仁の心と平静なる心である。 ともすれば、古来より武士道の伝統は、武にはやるあまり、修羅の如く怒りの心に染まりやすい傾向があったといえるが、これは、武士道そのものの中に隙をつくっている…

「新時代の志士によせて」(6)   天川貴之

また、理念に対する絶対の信頼に基づいた志があれば、いかに地上的な逆境に置かれようとも、いかに地上的なる困難が現れようとも、いかに金銭や、名誉や、地位などが変転してゆこうとも、いかに時流が移りかわってゆこうとも、その志は確固不動にして、決し…

「新時代の志士によせて」(5)   天川貴之

古来の武士道においては、勇気や情熱というものは、決死の覚悟から生ずるものであるとされることが多かったが、これは、逆の意味で、肉体に対して執着しているともいえるのである。 肉体的な生に執われることも執着ならば、肉体的な死に執われることもまた執…

「新時代の志士によせて」(4)   天川貴之

そのための理念的志士道精神について、その新しき精神理念をいくつか述べてゆきたい。それは、過去の大和の武士道精神に汲みとりながらも、その中にあるいくつかの理念を改善し、理念的に昇華せんとしたものである。 まず初めに、理念的自己を肯定する精神が…